第一章-財布は何処へ-
薄暗く、剥がれボロボロになった紙が汚れた壁に何度も貼られていたのだろう。
地面はゴミ屑が散乱し、所々にはクモの巣などが張り巡らされている。
その地面に、明るくまばゆい光が散り始め、光の中から人が2人現れた。
「う…、臭いがキツイ…。財布泥棒がここにいるのか?」
光の中から現れた少年ノウェは、いきなりの腐敗臭に鼻を押さえつつ、辺りに怪しい人影がないか辺りを見渡す。
「俺様の魔法は完璧だから半径5m内には確実にいるはず。だけど…イマイチ感じの悪いところだなぁ、カビ臭いし湿っぽい」
クロスは手にしていたギターを背に掛ける。鼻を押さえはしていないものの眉間にしわを寄せている。
5mならすぐに見つかるか…と、周りを探そうと歩き出したときだった。
ノウェは視界の端に人影らしきものが動くのを見た。
高さはちょうどノウェと同等だろうか。
「クロス!今あっちに何かいた!犯人かわからないが追ってみよう!」
言うが早いか走るが早いか、ノウェは人影が去ったほうへと駆け出した。
「あ、ノウェ!ここがどこかはっきりわかってないから1人で勝手に進むな!…ってもういない。あぁぁもぅ…。ノウェー!」
と、ぶちくさ文句を言いつつクロスも、遅れまいとノウェの後を追い始めた…が。
パキパキッ!
不吉な音が足元で鳴った。
「ぇ・・・って!!うっそおおおおお!!!!!!」
床が壊れる音とクロスの絶叫がハーモニーを奏で、クロスはその場から一瞬にして姿を消した。
一方、ノウェはそんなクロスの声を聞いていなかった。
影を完全に目で追えるぐらいにはなったが、追いつけず躍起になっていてそれどころではなかった。
当初は影自身気付いてない様子だったが、こちらに気がついたのかそれ以来走っても全然追いつけない。
(俺、そんなに足遅くないほうなんだけどな・・・)
そんなノウェの考えを嘲笑うかのように、影は徐々に加速を増していく。
(クロスは女の子って言ってたけど、女の子にしては速すぎる…)
先を行く人影が道を右に曲がる。
つづいてノウェが曲がり…。
「あ、今だわ!」
高い声が響くとともにノウェの足元に落ちていた縄が巧く上へと揚がりノウェを捕らえる。
「な、うわっ!何だ、コレ!」
ノウェは足の動きを一瞬で奪われバランスを崩した。それと同時に足から体まですべてが宙に浮いた。
ゆらゆらと動くノウェの下には栗毛色の長い髪で、手には魔導士の持つメイスの、いかにも冒険者らしい少女が立ってこちらを見上げている。
その顔はとても怒ってはいたが、獲物がかかった喜びもあるのか笑みを浮かばせていた。
「さて、と。やっと捕まえたわ。さあ、返して!」
少女はにっこりと笑って手を前に出す。
「は…?」
(俺は今人影を追ってたんだよな・・・。で、なんでこいつは俺を見て返せって言ってるんだ?)
ノウェがポカーンと自分の状況を考えたまま止まっていると、少女は何が苛立ったのか魔法を唱え、ノウェに向けて放った。
ボッという音とともに火の弾が顔面に迫ってくる!
「!!?…ぅわぁぁっ!?あ、危ないだろ!」
幸い、威嚇目的だったらしく放たれた魔法はノウェの横髪を少し焦がした程度だったがノウェはいきなりのことでむっとした。
しかし、少女はそんなノウェの怒りを無視し、それどころかわなわなと震えるように怒り出した。
「だったら、さっさと盗ったものを返しなさーい!返すつもりがないなら身包み剥いででも返してもらうわよ!」
「返す?俺は返すものがない。と言いますか俺は財布取られて犯人を追っていたところだ。だいいち今しがた影がそっちに走っただろ!」
ノウェの話を聞いていたを少女は「ふーん、へーぇ」と冷やかすような白い目でノウェを見る。
「影?あなた以外に見てないけれど?その証拠に影がいたなら影が先に捕まるじゃない!」
それもそうだ、とノウェは少女の話を聞いてふむ…と考えた、がそれならさっきの自分が見ていた影は何だったのだろうか…?
すると、埒が明かないと思ったのか少女が再び火の弾を掲げるように作り始めた。先のものより強力な魔法のようだ。
「ああああ、ちょっと待てよ!俺の話聞けって!!」
「待・て・ま・せ・ん!盗んだものを返す気がないなら私にも考えがあるわ!力づくでも…!」
「俺も探してるんだって!!信じるかどうか…いや、信じてもらわないと困るんだけど財布盗られたんだって!」
「え…?財布?あなたも?」
「そうそう、連れがエリナって子と話してる間に無くしたから、じゃあその子を探せばーって話に…って…あれ…?」
話していくうちに、目の前の少女の顔が苛々とした表情に再度変わっていくのをひしひしと感じて話が自然と止まる。
「呆れた。私が盗んだとでも言うの?というかそもそも何で私の名前を?まぁいいわ、話して逃れようとするみたいだから容赦しないわ」
まったく聞く耳を持たずに、エリナは炎の呪文を唱え始めた。どうやら本気で攻撃する事に決めたらしい。
「待て!君の名前がエリナなのは知らなかったけど俺の話は本当だ!何か誤解してるって!」
「御託は結構!!」
ノウェの周りに先の炎弾とは比べ物にならないほどの炎がいくつか現れる。
これは、来る!そう思ったノウェは来たるダメージを想定して何もできないなりに堪えようと目を閉じた。
だがその時、例のギター音がギュイイィィーと鳴り響き炎が風に潰されるように一瞬にして消えた。
「炎が…消えた!?」
「はぁ…助かった…」
エリナがハッと後ろを振り向くとギター片手に決まったポーズで立っているが服が埃などでボロボロになっているクロスがいた。
「ふぅー、あっぶねぇあっぶねぇ。ノウェー、大丈夫ーなわけないよな、自力で降りられる?」
クロスはすぐに上で宙づりになっているノウェを見上げる。
一方、ノウェはキッコキッコと空しい綱の音を立てて降りられないことを伝える。
「ったく、俺様の言うこと聞かずに走っちゃうから…。ほいっ」
後ろで口をぱくぱくさせて新たな登場人物に驚くエリナを無視し、クロスはノウェにナイフを放り投げる。
「サンキュー」
上手くそれをキャッチしたノウェは一気に自分を戒める物を斬り、猫のようにしなやかに下へと着地する。
「お疲れ、ノウェ。怪我してない?あと、どうして宙づりに…。まー、俺様なら絶対あんな罠にかからないからいいや」
好き勝手言いながらクロスがノウェの服に付いている縄の切れ端を払い落とす。
それからノウェの服装が整ったのを確認すると、サッと振り返り少女の方を向いた。
その動作のあまりの早さに少女がビクッと体を震わせる。
クロスはその少女の手を両手で握り出した。
「は?」
「え?」
ノウェと少女ははその様子に唖然とする。
「お嬢さんとても可愛いね〜、でもここ1人だと危ないよ?だから俺様と脱出しないかい?なんだったらその後お茶でも…」
弾丸のようにペラペラと出てくるナンパ師の言葉に少女は先ほどと違いオロオロと戸惑う。
ブチンッ!!
ノウェから音が聞こえる。
つかつかと少女とクロスの間に割って入ると、ノウェは拳を目いっぱいクロスの鳩尾に叩きこんだ。
「うおおおおおああああぁっ!!!こんな異常事態でもナンパするんじゃねえええええええ!!!!」
「ンゴフェッ!?」
体格はクロスの方が大きいはずだが、見事ともいうべきだろうか、クロスは素敵に弧を描くように宙を舞い、倒れた。
少女は一連の流れに驚きを隠せない様子で、先程の怒りがどこかへ飛んだらしくキョトンと固まってしまった。
「えー…ごほん…」
それからほどなくして、ノウェはここに来た経緯を少女に話した。
自分がクロスのナンパ癖のせいで旅用の財布を無くしたこと、それの手掛かりを探すためにここに来たこと。
そして、怪しい影を見つけ、それを追いかけていたことを、だ。
「というわけで、信じてくれないだろうけど、俺は今さっきまで君に捕まるまで影を追いかけていたんだ」
少女はしばらくふーむ…と考えていたが、突然頭を下げた。
「ごめんなさい、私が勘違いしてたみたい。あなた達も財布を盗られたのね」
「も?ていうと?」
気絶から復活したクロスが少女の話にふと不思議な顔をする。
ノウェもそう言えば…と捕まっていた時の少女の話を思い出す。
「そういえばさっき俺が捕まってたときに『貴方も財布を?』みたいなこと言ってたよな」
「えぇ、そうなの。私もこの町に来て財布を失くしちゃったの。だからここまで来て犯人捜しに来たんだけどね」
肩をすくめて少女は呟いた。
「犯人は同一犯じゃないと思うわ。私が追ってた人はそうね…あなたみたいな背の人だったし」
そう言ってノウェを見る。
「俺?」
「いいえ、人ごみの中であなたぐらいの背の子が横を通り過ぎたの。そう、ほんとあなたそっくりの髪型で、その人が過ぎてから財布がすられたのに気付いたから追ってたってわけ」
「もう一度言うけど俺は盗ってないよ」
ノウェが少し怪訝になって答える。
「えぇ、さっきあなたの付き添いの人の魔法でそれがはっきりしたわ」
「んー?そうなの?俺様…何かしたっけな?」
クロスがのんびりと宙を見上げて考える。
「あなた、さっき私の魔法消すのに風魔法使ったでしょ。その時に忘れてたこと思い出したの」
まるで霧が晴れたかのようにね。と少女が口元に手をやりながら話すのを聞いてノウェの目が鋭くなった。
「それって…さっきクロスがかかった術と一緒じゃないのか?」
「え?」
「あぁ、これ言ってなかったな。こいつナンパしてた女の子の名前が霧の魔法で思い出させられないようになってたんだ」
「そんな魔法があるの?聞いたことがないけど…」
魔法を使える少女は少し不審な顔になる、どうやら知らない魔法のようだ。
「あるんだなー、それが」
クロスがやれやれとしながら呟く。
「もちろん俺様は紳士だから基本的にそんな魔法かけないけど、魔法はあるよ。普通の人間はまず縁がないし使えない魔法なんだが…」
隙がないとかけられないのもあって使わない人も多いっけなとか呟く。
「そんな魔法があるなんて…。それより話の続きだけど、あなたに似た人の容姿を少し思い出してね、その人は青色のような透き通った銀髪だった。だから、あなたは私の追っている犯人じゃないわ」
「銀髪の俺みたいなやつ…?それじゃあ俺たちの追っている奴とは違うということか…」
「まったく関連性がないってことじゃないけどねー」
クロスがふふーんノウェを見ながら呟く。
ノウェはそんなクロスの様子をわかっていたかのように、ふんと鼻を鳴らした。
「そうだな。どっちも霧の魔法を使う。そして同じ場所にいるってことか」
「でも、それなら不思議な点が何個かあるんじゃない?影のこととか盗った人が性別容姿が全然違うとか…」
少女が2人の話に待ったをかける。
ノウェも少し考えてから話し始める。
「性別が違うのは、おそらく財布を盗んだ連中がスリ集団からと考えるんじゃないか?ただ…俺も影のことは…」
「影なんだけどねー、俺様なりの考えがあるんだけど…」
クロスが悩む2人にニンマリ笑いかける。
「え?影が一瞬で消えるってことあるのか?」
ノウェが驚きながらクロスを見上げると、クロスがやや苦笑しながらも自分の埃まみれになった姿を見せるかのように両手を広げた。
「これこれ。俺様さっきここに来るまでに一度下の階に落ちちゃったんだよねー。つまり犯人は下の階にでも落ちたんじゃない?」
たとえば…とクロスが呟いて、やや後ろの小さな穴の近くを指さす。
みれば、なんとかヒト1人は入りそうな穴がある。
「ここ…入れるのか?でも入れるとしても深そうだし、落ちたら衝撃とかで追っかけてた俺やこの子にもわかりそうなんだけど…」
「土地勘なかったらそうだろうけど、土地勘ある者なら逆に利用するんじゃないかねー。ま、俺様はこのそこらにある穴のおかげでこうなったわけだが…」
クロスはここでようやく自分の服にかかっている埃を払い始めた。
おかげで、クロスの雰囲気がボロボロで胡散臭かったのが消え、爽やかなものへと変わる。
そのあまりの変貌に少女がクロスをじーっと見つめていた。
「お嬢さん、そんなに俺様を穴があくほど見ちゃって…俺様照れるなぁっはっはっは!」
「あ、いや見とれてたっていうか埃被ってた時があまりにひどかったから凄い変わるのかと思って…あと、私はお嬢さんじゃないわ。エリナっていうのよ」
「エリナ!素敵な名前だなぁっ!!まるで花のように可憐で愛らしい君にとても似合う名前だよーって痛てて…ノウェくーん痛い痛い」
再びエリナの両手をしっかり握りしめナンパを始めようとするクロスの耳をしっかりとノウェが引っ張り、二人の差を裂いた。
「お前なぁー、さっき財布失くした時と同じセリフを言って、ボキャブラリー少ないのか?というよりそもそもそんな話してるんじゃなくて…」
「いたたた…ごめんごめん、ノウェ!俺様今から穴を調べるから!お願いだから手をはーなーしーてー!」
ノウェは「はぁー」っと溜息をついてクロスを離すと、エリナの方を向いて言った。
「さっきから話してたからわかるだろうけど、俺の名前はノウェ。よろしく」
「エリナよ、よろしくね。それで、とりあえず一緒に行動して…いいかしら?」
丁寧に挨拶を返すエリナが上目づかいで首をかしげる。
その姿を見てノウェは少し顔が熱くなる気がした。
「…そ、そだな。犯人は確定してないものの共通点が多いし、何より女の子1人ここで置いとけない」
それを聞いてエリナが少しムッとする。
「私、こう見えても1人で旅してるから大丈夫よ!」
「そうなのか?でも危ないから街中までは一緒にいた方が安全だと思うけど?」
ノウェの言葉にエリナがしばらく考えたのち、「それもそうかな」と答えた。
その間にも悲しそうに片耳を押さえて涙目で穴の詳細を調べていたクロスが、2人のもとに戻ってきた。
「あの穴、意外にも頑丈で崩れそうにないわ、1人1人中に降りるしかないけど、あの穴、たぶん大きさ的に俺様入れないんだよねー」
「どうにか大きくすることとかできたらいいんだけど、それか違う道を探すか…」
クロスの調査をもとにノウェが考えると、エリナが穴をそっと覗こうとして…。
「きゃーーーーーーーーー!!!」
「!?エリナ?危なっ…」
「ノウェ!!エリナちゃん!!」
突然穴が崩壊し、エリナがそのまま穴に吸い込まれるように落ちていく。
それを助けようとしたノウェがそのまま同じように落ちていき…。
クロスがノウェを助けようとしたが、ノウェの服をつかみ損ねた。
二つの悲鳴が重なりながら、地下深くへと沈んでいった。
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