第1章-新顔-

アルバはふらふらと酔う頭を覚ますために頭をフルフルと振ると空を見上げた。
建物の間から見える青空に白い雲が散る。
それはまるで魚の鱗のように、たくさん広がっていた。
空気の匂いを嗅ぐと、やや湿っぽさを感じる。---おそらく晩は天気が崩れるのだろう…。
今日は月の一番明るい夜で、「集まり」がある日だ。
(雨に濡れる前に帰りたいな)
アルバは、雨に濡れたときの不快感と、家の人が悲しむ顔を思い出し、そっと胸に想いを秘めた。
しかし、そんなアルバの想いを嗤うかのように、空には鱗が徐々に広がっていった。


日が暮れていく…。
雲の間に見える夕日は遠くの地に沈み、夕日の代わりに夜を照らす満月が姿を現した。
月が雲に隠れたり姿をあらわしたりを繰り返す中、アルバは集会所にいた。
集会所へは昼間に匂いを辿ることで簡単に見つかった。
他猫が1匹…2匹と姿を現すのを見る中、アルバは朝に出会った灰色まだら猫を見つけた。
(あ…あいつは今朝の…、礼だけでも言った方がいいか)
近寄り礼を言おうとしたアルバだったが、灰色猫のもとに辿りつく寸前の所で、何かにぶつかった。
「キャー!!リック様だわー!!リック様!!今宵もまた美しくカッコいいわー!!」
「ちょっと!私のリック様に触れないでよ!!」
「抜け駆けは許さないわよ!」
黄色い声がニャンニャンと響くそれは、雌猫達のものだった。
大人な猫から、自分とあまり変わらないくらいの年齢まで、幅広い雌猫達が灰色猫を囲んでいた。
あまりのモテ様にアルバは軽く灰色猫に嫉妬した。
(なんだ、こいつ。ボスが他にいると思ってたのに、こいつがボスだったのか?)
ボス猫は本来雌猫にモテる。強い猫に憧れる猫は多いのだ。
しかし、アルバは灰色猫リックの様子を見て、嫉妬心を冷やした。
リックは雌猫達に冷やかな青い瞳で見るだけで、そっと1匹しか乗れないような小さな台の上に
登って静かにしゃがみ、伏せた。
「あぁ〜ん、リック様の静かなその姿だけでも幸せだわ」
「リック様、お疲れなのかしら…私でできることがあったら何でも言ってくださいね!」
雌猫達は、しばらくリックを見たりしていたが、リックがまったく来る様子がないと思ったのか、各々他の場所に移動した。
アルバはリックに今朝の礼を言おうと、リックが降りてくるのを待っていた。
瞳さえも閉じて静かにしていたリックの耳がふと動き、リックが上体を起こした。
やっと降りてくるか、と思ったアルバの背後から、声が聞こえた。
「おい、小さいの。邪魔だ」
乱暴な物言いに、ムッとしたアルバは「あ?何だと…?」と後ろを振り向き文句の一つを言おうとした。
が、後ろを向いたままアルバは言葉を出すことができなかった。
そこには、一匹の猫が、夜の闇にも負けず凛と輝く金の瞳でアルバを見降ろしていた。
猫の毛色は見たこともない緋色だった。
お世辞にも手入れはそれほどされてないようにも見えるが…、それでも雄々しさは今まで見た猫の中で一番だった。
赤毛で金目の猫は、アルバが動かない様子をしばらく見ると、ピョーンと大きく跳躍した。
そして、リックの隣に空いているスペースに鎮座し、だらしなく伏せた。
そう、まるでその様子はいつものことに飽きているように…。
リックは赤猫のその様を見てか見てないのか、一言始めた。
「今から、宵の集いを始める」


集会は何事もなく始まった。
アルバはこの地域で初めての集会のため、聞き逃しがないよう真面目に参加した。
ときどき、ほかの猫の様子をも見ていたが、やはり不思議でたまらないことがあった。

赤い猫だ。

やつは、恐ろしいまでに集会の話に無関心だった。
そして、不思議なことにボス猫の話すらもまったく耳を傾けている様子さえなかった。
本来は、ボスの話には耳を傾けなければいけないのが掟のはずなのだが…。
(あいつ…、ボスの座を狙っているのか…?)
例外的に、ボスの座を狙う猫は話を聞かないとされているため、アルバはその線を想像した。
しかし、それならば集会にも参加しないのが普通であるため、やはり不思議で仕方ない状態のアルバだった。
そうこう考えているうちに、集会が終わった。
「次の集いはひと月後。それまで違反のないように。解散」
リックがそう告げると同時に、集会時の静けさは一気になくなり、各々それぞれの行動に移り始めた。
アルバもほかの猫と同様に自由に自分の家にでも戻ろうかと思い立ち上がった。
その目の前を赤い影がサッと横切った。
赤い猫だった。
まっすぐ闇の中へと消えていく赤い色を見つめていたアルバに上から声がかかる。
「帰らないのか?」
声をかけてきたのはリックだった。
ストンと降りてきた灰色まだらの身体は、がっしりとした筋肉で力強そうだ。
近くで見ると、リックの瞳は透き通っていて綺麗だとアルバは思った。
それと同時に金の瞳のあいつも思い出される。
アルバは気になっていたことをリックに尋ねた。
「あのさ、聞きたいことがあるんだけど」
「ん?何だ?」
まさか質問されるとは思っていなかったようで、リックは少し驚いたような表情でアルバを見る。
「さっきまでいた赤い奴、あいつ何者なの?ボスであるあんたの話聞いてないし、自分勝手すぎる」
アルバは率直に自分が思っていたことを告げた。
リックはそれを聞くと、一瞬目を反らしたが、またその青い瞳をアルバに向けた。
「あいつは古株だからな」
「でも、ボスの言う事は絶対だろ。あんたボスなのにあいつになめられてる!」
リックが静かに言う答えに、アルバは納得がいかなくて声を荒げる。
「…お前…、」
「お前じゃない、オレはアルバ。それより古株って言うけどあいつそんなに年でもないように見えたぞ」
リックが続けて言うのを阻止してアルバはさらに続ける。
「それに、あんたはあいつが古株だからって甘いのかもしれないけど、オレはそんなのいけないと思う」
尻尾が苛立ちでパタパタ動く。リックはそれを見ていよいよ少し困ったような顔つきでアルバを見た。
「アルバ…、たぶんお前は」
「あんたがあいつに言わないならオレが直接言ってくる。古株だろうが悪いものは悪いし。
新参者に言われた方があいつも堪えるだろ」
リックの言葉を再び遮ってアルバはいいアイデアをそのまま口に出した。
それを聞いたリックはさらに微妙な顔つきになった。
「それはやめた方がいいと思うが…。それにそんなに気になるなら俺が言おう」
「あー、でもボスにそんなこと言わせるほうこそ悪いし、俺ちょっと走って言ってくる!」
アルバはリックが止めることを気にせず、赤い猫の向かった先へと走り出した。


リックはその場に一匹取り残された。
去っていった若い猫の後を見て、軽くため息をついた。


「はぁ…、くれぐれも無茶なことはするなよ…」
その言葉は、闇の中に消えていった。
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