第1章-新顔-

引越しを終えて数日経ったある日のこと。
男が、ようやくアルバの首輪につけた紐を外した。
「もう、お前も家の匂いを覚えただろう。今日から外へ出ていいぞ」
わっしゃわしゃと撫でてくる男の手にアルバは甘える。
新しい家の探検も終わり、家の中にも少々飽きてきた所だったアルバにとって、嬉しい言葉だった。
男はそっと窓を開けた。
アルバは窓から吹き込む風を全身で感じ、匂いを確かめる。
以前住んでいた地域とは全く異なる匂い…。
しかし、数日家に出られないものの窓を開けるたびに感じ取ったその匂いをたっぷり吸うと、アルバは外へと足を踏み出した。
「戻ってくるときは教えた場所を使えよー」
男が教えてくれた場所…、人は入れないであろう扉のことか…とアルバは教えてもらったことを思い出しながら、外の世界に出た。
庭の木に軽々と飛び乗る。
辺りを見渡すと、転々と家があるようだ。
新しい家、古い家…中には神社のような建物も…。
風が運ぶ匂いと、周りの様子を見てアルバは、今夜行くべき場所を見定めた。
おそらく、古ぼけた神社の近く…。
そこの広場から複数の猫の匂いがする。
(よし、集会までに時間があるし様子見でもするか)
アルバは、そろそろと注意深く庭の木から降りると、目的地に向かってそろりと歩き始めた。


しばらく歩いていたアルバは、ふと他の猫の気配を感じた。
辺りを見渡すと、自分以外の猫が2匹、離れた所でじゃれついていた。
というよりか、何かに酔っているのかふらふらとしていた。
興味を持ったアルバはそっと近付き、その原因を理解した。
「マタタビ…か」
アルバが呟くと、酔っていた猫の1匹がこちらを見た。
「あぁん?誰だおめぇ…見ねぇ顔だな」
「つい最近、ここに来たんだ。知らない顔で当然だろ」
アルバは、尋ねてきた猫が振りまくマタタビの匂いに耐えようとマタタビを睨みながら答えた。
すると、その様子が酔っていた猫には気に食わなかったのか、もう1匹の猫を放って立ちあがった。
「なんだ?新顔の癖にやたら偉そうじゃねーか」
「ん?オレは偉そうにした覚えはないけど?そんなことより近寄るなよ。今オレは忙しい」
アルバは近寄る酔っぱらい猫から離れようとする。
が、それを酔っ払い猫は許さなかった。
「何の用事があるんだ?新顔。宵の話ならまだ早いだろう?」
アルバはその猫の言葉に目を丸くし、寄ってきた猫から飛び離れた。
その様子の何がおかしいのか酔っ払い猫はニタリと笑って背を低く屈め…
「――ッ!!」
アルバは酔っ払った猫の意外と早い行動にとっさに反応できず、酔っ払い猫に覆い被さられた。
「っ!!何するんだよっ!!急な攻撃は反則だろ!!」
身を翻そうとするが、酔っ払い猫が自分より大きいことと、急激にマタタビの香りが鼻を刺激してきたことにより、力が抜けて動けなくなった。
酔っ払い猫はその様子を見てニヤニヤと不気味な笑みでこちらを見て、さらにマタタビの香りのする体を近づけてきた。
「攻撃じゃないぜ?どうせ集いまで時間があるんだし、俺らと酔おうぜって誘ってるだけさ」
「や…めろっ…!」
近寄るマタタビの匂いに懸命に抵抗しようと、前足で酔っ払い猫を押すが、体格差もあってまったく効果がない。
むしろ、その抵抗さえ愉快と思っているのか酔っ払い猫は体をさらに押し付けてきた…。
が、その押してくる力がふっと無くなった。
マタタビの匂いで頭がぼーっとしてきたアルバの耳に、知らない声が聞こえた。
「そこで何をしている」
知らない声…、低い雄猫の鋭い声だった。
アルバは声の主をぼんやりとした頭で見た。灰色で、黒のまだらのある猫だ。
筋肉ががっしりとついているのか、体格が大きく、瞳の色は冷たい青色だ。
「…何もしてねぇよ。マタタビの楽しみ味わってたらこいつが来たから教えてやってただけだ」
酔っ払い猫は、アルバからすっと離れると、近くでニャンニャンと酔い続けているもう1匹の猫をど突き、目を覚まさせる。
ど突かれて我に返った酔っ払い猫は、灰色黒まだらの猫を見ると、ヒッ!と酔いを一気に覚ましたかのようにコソコソと逃げた。
それを横目で見ながら、灰色猫はアルバへと近付く。
「大丈夫か?ふむ…まだ子供じゃないか…」
灰色猫はアルバの無事を確認すると、なおもこちらをじろじろ見てくる猫を睨みつけた。 「…おい、お前この地区での規則を忘れたわけじゃないだろうな」
灰色猫はアルバを庇うように立つと、酔っ払い猫に鋭い瞳を向け、威嚇の体制を取り始めた。
酔っ払い猫はタジタジと後ろへ下がりながら、それでもなおも不満なのか尻尾を気に食わなさそうに振りながら弁解する。
「ちっ…忘れてねぇよ。そいつが俺らの楽しみにケチつけてきただけだ。だからちょっと詰め寄っただけだ」
「ふん、どうだかな。まぁいい。次この行為を見かけたらボスに報告するだけだからな」
「チクるなら勝手にどうぞ。ったく…うぜぇったらねぇぜ!」
捨て台詞を吐くと、酔っ払い猫は逃げるように去った。
残されたのは、アルバと灰色猫だけとなった。
アルバはなんとか頭を振ったりすることで、マタタビの魔の手から逃れていた。
頭がややボーっとするものの、事態がどのように進んでいるのか理解できるぐらいには回復した。
灰色黒まだらの猫は、アルバのその様子を見て安全だと確認したのか、声をかけてきた。
「もう大丈夫そうだな。お前見ない顔だが新顔か…」
「うん…あぁそうだよ。オレ最近この近くに越してきたんだ。場所に詳しくないから色々見て回っててここに着いたってわけ」
「それは災難だったな。ここはこれ目当てに来るやつが多く、ガラの悪い奴らが多い。次からは気をつけろ」
灰色黒まだらの猫はすっくと立ち上がると、細い段の上に軽々と飛び乗り場所を離れた。
「あ、待って!…って行っちゃったよ…。オレ子供じゃないって言おうと思ったのに…」
アルバは灰色黒まだら猫の去っていった後を見て、一人ごちた。

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